株式会社エフエム東京 第287回番組審議会

議  事  録


1.開催年月日 平成13年6月12日(火)

2.開催場所 エフエム東京 本社10階大会議室

3.委員の出席 委員総数9名(社外9名 社内0名)

◇出席委員(6名)
子 安 美知子 副委員長    青 池 愼 一 委員
伊豫田 康 弘 委員      香 山 リ カ 委員
内 木 文 英 委員      横 森 美奈子 委員

◇欠席委員(3名)
利 光 松 男 委員長     内 館 牧 子 委員
渡 辺 貞 夫 委員

◇社側出席者(8名)
後 藤 社 長         一 戸 専務取締役
冨木田 常務取締役       青 山 取締役制作局長
佐 藤 常勤監査役       小 針 マルチメディア事業局長
雨 笠 編成局長        林 屋 編成局局次長
【事務担当 林屋番組審議会事務局長】

4.議題
「21ヶ月〜シンガーソングライター槇原敬之の時間が止まった時」
(平成13年5月30日放送分)

5.審議内容(◇委員側発言)

◇あまり世の中について考える機会のない人達に対し、考えてもらうきっかけを与えるということでは良かった。少し気になったのは、個別の事件や犯罪が、“社会全体の背景があって起きているのではないか”、“社会の犠牲者”、“時代の犠牲者”などと、あまりにも拡大解釈され過ぎてしまっている傾向があること。何でも物語化して考えたいという欲望が強いので、“個別にその人が悪かった”“問題なのだ”というものすら、社会や時代と結びつけてしまう。そう考えると、槇原敬之の一件は現代に生きていたからこそ起こした犯罪であるのだが、時代や社会の中で起きてしまったとするのはちょっと行き過ぎという気がした。また、せっかく覚醒剤をきっかけに生まれた番組であるので、槇原敬之の心の悩みに迫るのも大事だが、素朴に覚醒剤の恐ろしさ、彼が覚醒剤に手を出した理由なども披露してくれたら良かった。

◇私自身、槇原敬之は好きでも嫌いでもない。ミュージシャンとドラッグというのは昔からよくある事件なので、才能とは別のものだと思っている。彼についてあまり深くは知らなかったので、「一体どんな人なのか?」と思って聴いた。作り手として結論をあえて求めてないということだが、聴いてみるとドラマティックな感じであり、何らかの結論を押しつけられているような気もした。政治や経済や社会的な事件のことを持ち出すと、「ドラッグを使うような状況だったのでは」と、逆にこの事件を正当化するような感じを受けてしまう。ここまで持ち出す必要はないのでは。もし入れるのならコラージュ風にして、「そう言えばその時そんな事件があった」ぐらいの感じの方が良かったのでは。結論を求めない形にするのなら、独白よりも会話形式の方がいいのでは。聞き手がいて相づちがあり、いい意味でとりとめなくしゃべっている方が、受け手にとっては自分の判断ができることがある。一人で喋りっぱなしというモノローグだと、自分も盛り上がってしまうところがある。「この人はこんなに一生懸命に喋ってしまっていいのかな?」という感じもした。非常に冷静に聴いてしまったのだが、以上が正直な感想である。こういうことを取り上げて話す機会を与えたのはとても前向きなことだが、より慎重にした方がいいと思った。

◇語りの番組は好きである。良いことをやって褒められた人の話を聞くより、このような陰りのある問題を抱えた人の語る言葉を聞く方がいい。言葉は、誰に向かって発するかが大事。つまりたくさんの聴衆を前にして語るのではなく、ラジオを聴いている一人一人に向かって語り掛けるのが大事であるということを感じた。また、語り手よりも、どんな人を聞き手に選ぶのかが、非常に難しいだろう。このような番組の制作を重ねれば、それは自然に身に付くかもしれない。槇原敬之のことはよく知っている訳ではないが、人間が誰でも持っている心の奥の陰りが出てくるような“語り”の番組を目指していけば、大人も聴ける番組になるのではないだろうか。

◇60分の番組を短く編集しているため、番組の本質を充分掴めたかどうかわからないが、短いヴァージョンを聴いた限り、番組の意図・目的・志はわかるのだが、「そんな時代について、偶然時期を同じにして、挫折しすべてを失い再出発しようとしている槇原の体験、槇原という人間性を通して見つめたい」という狙いは実現できていないし、そもそも無理であると思う。彼の言葉を聞いている限りでは、“ある特定の時代状況の中で”というよりも、人間が本質的に、普遍的に持っている弱さ、悩み、暗さなどを追及した方がいいのでは。社会と人間を対比したい気持もわかるが、そう単純なものではない。むしろ、人間や人間社会が持っている普遍的な側面の方がよく出ている。彼の話の中で興味を持ったのは、彼が逮捕され有罪判決を受けたことをきっかけに、彼を巡って悪意に満ちた話が拡がったこと。これはもう、原始の時代から今日まで、人間社会が持つ嫌らしい側面である。そんな所をもっと追及して欲しかった。

◇今の社会事象を男性ナレーターの大橋氏が、槇原の心中を女性ナレーターの坂上氏が語るという使い分けの演出をしていたが、全体として、BGMも含め、物語風の構成だと感じた。「では槇原はけじめをつけているのだろうか?」と考えると、結局槇原の事件は「時代の罪であり、彼は犠牲者」という感じがする。やはり「ファンのための放送」という感じを受けた。坂本龍一が手を差し伸べるエピソードが出て来る等、結局、槇原は何も失ってないのでは。きつい言い方をすれば、「彼の自己弁解に手を貸している」ととられても仕方ない。ただ、そういう要素を除けば、夜中の1時から2時の放送にふさわしい、聞き応えのある演出が効いている番組だと感じた。「単なる贖罪のための番組にしたくない」という送り手側の意志は感じられたが、以上の理由で全体的にはあまりいい気分はしなかった。

◇番組を聴きながら、「おしいな!」と何度も思った。というのは、このような体験をした若手ミュージシャンに久しぶりに出演してもらうのだったら、例えば実存主義の文学に詳しい方との会談にして、彼にどんどん突っ込んでもらったらもっと面白かったのでは。番組の着眼点は面白く、始めのうちは良かったのだが、「この時代に生まれた自分が…」というあたりから「なんだこれは?」と感じてしまった。“芸術家とドラッグ”“人を殺すほどの情念を抱えた芸術家の内面での戦い”等は、ホメロスは戦いには縁がないとしても、ギリシア悲劇の時代からダンテ、シェイクスピア、ドストエフスキーと来て、20世紀に入ってからでもカミュのような不条理な実存主義の作家達も描いている普遍性のあるテーマである。30代の生々しい人が実際にいるのだから、料理の仕方によってはとてもインパクトのある凄い番組になり得ただろうにと思えた。その裏に、時代への切り込みや社会とのつながりを入れてもいいのだが、残念だった。テーマは凄くいいと思った。

6.改善意見に対して採った措置
   審議会の意見・要望は、各担当部長より部員に伝達された。

7.公 表
   議事内容を以下の方法で公表した。
 ・放 送 :番組「サンデー・モーニング・フェスタ」7月1日(日)放送内
 ・書 面 :TOKYO FMサービスセンターに備え置き
 ・インターネット :TOKYO FMホームページ内http://www.tfm.co.jp/bansin

8.その他
  次回の審議会は9月4日(火)に開催することを決めた。

以上

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